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宇治おさんぽ2

1999年5月8日宇治旅行記2


橋姫

宇治橋は古代の三大橋に数えられ、源氏物語の頃にはすでに架かっていたようだ。
橋の守護神とも言われる橋姫神社は宇治橋西詰近く平等院脇にある。江戸時代までは橋の欄干から張り出した三ノ間にあったという。
源氏物語よりも、貴船で丑の刻まいりをした橋姫伝説の方が有名だ。貴船に行ってみたいと思うが、ここからだとえらく遠い。宇治は京から南に20km、貴船は逆に北に20km近いのではないだろうか。百日間丑の刻まいりをすれば確かに呪い殺すことくらいは造作もないかもしれない。大君と橋姫では性格がかけはなれている。

宇治市では宇治十帖のそれぞれにちなんで観光スポットのようにしている。どうも、多くはこじつけのようにも感じるところだ。

大君は源氏物語のなかでも好きなキャラだ。何度読んでも死んでしまうのが実に残念だ。
なぜもっと生きていて、薫と一緒に時を過ごさなかったかと思う。やっぱり薫がノロマなのかもしれないけれども。


浮舟

三室戸寺の境内に浮舟の碑があるという。
「宇治十帖の風土」に記述がある。見に行くことにした。有名なあじさいの花はまだだが、つつじが満開だという。
京阪宇治駅前に、あつらえたように三室戸寺行きバスが止まっている。徒歩で上るのをやめ、乗り込む。停留所を降りると人がぞろぞろ歩いている。ツアーだろうか。
つつじは見頃で参道の右斜面一杯に咲き誇っている。年輩の観光客は皆カメラやビデオを振り回している。
浮舟の碑は、小さなものだった。割と新しい。

宇治の大君、中君の父八の宮は、源氏の政敵にあたる弘徽殿女御が藤壷の(実は源氏の)子を排して東宮にたてようとした内親王で、源氏の復権に伴なって政治の表舞台から消え、やがて「世を憂し(宇治)」とする者の住む宇治で「俗聖」と呼ばれる生活を送るようになった人物だ。
源氏の(実は柏木の)子薫が八の宮にひかれて宇治に通うようになるが、源氏の長男夕霧の別荘と、八の宮とその姫君の住む家は宇治川をはさんで建っている。
源融の別荘があった平等院が夕霧の別荘なら、川を隔てて向かいにある宇治神社、宇治上神社のあたりが八の宮の住まいということになる。死期の近づいた八の宮が山にこもって修行したのは、三室戸寺禅定寺あたりなのかもしれない。
そう思えば、八の宮の娘浮舟の碑がたっていてもおかしくないのかもしれないが。


宇治田原へ

三室戸寺から京阪宇治に戻り、今度は禅定寺を訪れることにした。バスの運転手に尋ねると、維中前行きのバスに乗り、終点で乗り換えれば良いようだ。
バスは途中、茶畑の前をいくつも通る。たいてい畑全体が莚ですっぽり覆われている。茶摘みの季節だ。
一山越え宇治田原町に入ると、製茶工場がいくつも並んでいる。

終点に着く。30分は走っている。運賃が380円で、用意していた小銭では足りず両替をした。
禅定寺行きというのは一日に数本しかなく、次の便は2時間後なのを見てあせる。良く見ると、石山方面に行くバスに乗れば行けるようだ。時刻表をLXにメモする。最悪ここまで歩いて戻れば帰れるようにと。
しばらく待つとバスが来る。乗客は中学生が数人のみ。観光客は全く来ないのだろうか。10分も走らないうちに禅定寺に着いた。


禅定寺

拝観料がいるはずだが、受付らしきものは見当たらない。とりあえずおまいりを済ませる。寺の子供が番をしているようなので、近寄って拝観したいんですけれど、と言うと、禅定寺観音縁起の紙を一枚くれた。拝観料400円と書いてあるところを指差すので小銭を出す。裏には南山城かくれ古寺六山めぐり案内が書かれていた。

本堂にずんずん入る。案内はなく、中は無人だ。好きなだけ勝手に見ろと言うことらしい。どうやら宝物殿は別棟のようだ。重要文化財が6種はあるはずなのに、遠いせいか観光客はあまり来ないらしい。ぶらぶらと歩き回り、座布団に座って芳名録を兼ねた観音経一字写経に記帳する。いつも思うけれど下手な字だ。字の上手い人がうらやましい。

帰りのバスの時間まで30分はある。境内を散歩してから宝物殿に行ってみる。
本尊の十一面観音は3m近い高さの巨大な立像だ。日光・月光菩薩立像も、四天王立像等身大の立像で、すべて重要文化財だ。
宝物殿は勝手に入って勝手に見るようになっている。見終わったら電灯を消して扉を閉めて出てくださいと書いてある。どの像もさわり放題である。悪意のある人がきたら盗んでいけるかもしれない。


興聖寺

京阪宇治駅までもどってきたついでに、宇治上神社より少し上流にある興聖寺に寄ってみることにした。
道元が建てた寺ということだが、実際は道元が建てたのは伏見で、ここは江戸時代にその名前だけもらって建てられたものらしい。位置からすると八の宮の住居にふさわしいのだが。

参拝して驚いた。ここにも血天井があるのだ。


血天井!

高校の頃だったか、修学旅行の自由時間で、京都血天井巡りをしたことがある。

血天井とは何か?

伏見桃山城の遺構で、落城の際、戦に破れて鳥居元忠等多数の者が自刃した血だらけの床を、天井として張ったものだ。
最初何気なく入った寺に血天井があり、皆異常に興奮して、京都でたしか六ヶ所くらいに分けて天井に張られたと聞き、探し回って数カ所(源光庵、正伝寺、養源院)見に行ったものだ。

興聖寺の本堂にもこの血天井があった。
血染めの手形足形がはっきり確認できた。


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文市(あやち)=青野宣昭